世界選手権を4回制し、五輪では2大会連続でメダルを持ち帰り、10年近く日本女子のエースであり続けた坂本花織。
筆者は2006年のトリノ五輪あたりからフィギュアスケートを見続けてきた。もちろん坂本花織選手の大ファンでもある。氷を蹴るたびに加速していくスピードと推進力。高さと幅のある、思わず声が出るジャンプ。リンクいっぱいに広がるダイナミックな演技。理屈抜きで、見ていて気持ちがいいスケーターだ。
ただ、世間には「ロシア勢がいなかったから」「高難度ジャンプを跳ばないのに」といった声があるのも事実だと思う。
先に断っておくと、筆者はフィギュアスケートの専門的なことはわからない。そのためGOEや演技構成点の内訳がどうとか、そうした技術面・採点面の話をするつもりはない。
それでも20年近くこの競技を追いかけてきた人間として、一人の観客として見てきた景色の話である。坂本花織選手のすごさは「ジャンプの難度」とはまったく別のところにある。今回は、その話をしたい。(以下、かおちゃんと記載させていただきます)
「ロシアがいないから勝てたんでしょ?」——正直、一理はあると思う
まず、この論点から逃げないでおきたい。
坂本が初めて世界選手権を制したのは2022年、フランス・モンペリエ大会だった。この大会の直前、ロシアによるウクライナ侵攻を受けてISU(国際スケート連盟)はロシアとベラルーシの選手を除外。北京五輪の金メダリスト・シェルバコワ、銀メダリスト・トルソワ、そして4位のワリエワは、いずれも出場していない。
ロシアの名コーチ、タチアナ・タラソワ氏は当時、ロシア選手抜きの結果を「本当の勝利ではない」という趣旨で語ったと報じられた。
この指摘を、頭ごなしに否定する気はない。もしあの3人が氷の上にいたら、順位表は違う形になっていた可能性は十分にある。
でも、それでもなお「坂本花織はすごい」と言える理由がある。むしろ、あの状況だったからこそ浮かび上がった強さがある。
すごさ①「勝って当然」の状況で、実際に勝ちきったメンタル
2022年モンペリエで坂本選手が置かれていた状況を、もう少し具体的に想像してみてほしい。
- 1か月前に北京五輪が終わったばかり(坂本は銅メダル、完全に燃え尽きた直後)
- ロシア勢不在で、突如「金メダル候補」に祭り上げられる
坂本自身、当時を振り返って「自分が勝たないといけない」という気持ちでさらにナーバスになった、と語っている。
勝っても「当たり前」、負けたら「あの状況で負けたのか」。得るものが少なく、失うものが大きい。しかも本人が一番それを分かっている。
その中で坂本が出したのは、SP 80.32点(自己初の80点超え)、合計236.09点の自己ベスト。
さらにフリーでは、チームメイトの不調で、最終滑走の自分が2位以上に入らないと翌年ワールドの日本の出場枠が3に届かないなか、自己ベストを出す。
キスクラで「3枠OK?」と確認し、大丈夫だったことがわかった瞬間、安堵していた姿は印象的である。
「ロシアがいなかったから勝てた」のではなく、「ロシアがいない中で勝たなければいけない重圧に、正面から耐えて勝った」。筆者にとって、あの1週間の坂本花織は、キャリアの中でも屈指の”強さ”を見せた瞬間だった。
すごさ②世界選手権3連覇は「56年ぶり」の異常値
坂本はここから、2023年さいたま、2024年モントリオールと世界選手権を制し、3連覇を達成する。
女子シングルの世界選手権3連覇は、1966〜68年のペギー・フレミング(米国)以来、実に56年ぶりの快挙だった。
すごさ③全日本選手権5連覇——国内のほうが過酷という現実
さらに国内。坂本は全日本選手権も5連覇している(2025年12月の大会で達成し、ミラノ五輪代表を決めた)。
日本の女子シングルは、世界で最も層が厚いカテゴリーのひとつだ。千葉百音、中井亜美、島田麻央、住吉りをん、渡辺倫果……。次から次へと新しい才能が上がってくるリンクで、5年連続で日本一。
歴代の日本人選手達も「全日本の空気は異常」「世界選手権より全日本のほうが緊張する」と語る日本人選手は少なくない。その舞台で5年、一度も王座を明け渡さなかった。これは誰にでもできることではない。
すごさ④「勝ち続ける」ことの難しさ——2つの例から
ここで、少しだけ他の選手の話をさせてほしい。誰かを貶めるためではない。フィギュアスケートというのがそういう競技だ、ということを伝えるためだ。
アリーナ・ザギトワの場合
2018年平昌五輪、15歳で金メダル。当時のシニア界で無敵に近い存在だった。
しかしその約1か月後、ミラノ世界選手権。フリーで3度転倒し、まさかの5位。演技後、キス&クライで大粒の涙をこぼした。
もちろん彼女は翌2019年、さいたまで開催された世界選手権で237.50点を出して初優勝。見事にリベンジを果たしている。それでも、五輪女王が翌月の大会で崩れるという事実そのものが、この競技の恐ろしさを物語っている。
イリア・マリニンの場合
2026年ミラノ・コルティナ五輪。「4回転の神」と呼ばれ、国際大会12連勝中、圧倒的な金メダル大本命として五輪に臨んだ。
SPは108.16点で堂々の首位。ところが運命のフリーで複数回の転倒を喫し、総合8位。本人はのちに「恐怖を招き入れ、それが私を壊した」と綴っている。
彼もまた強い選手だ。この後の世界選手権(プラハ)で3連覇を果たしている。だからこそ言える。あれだけの実力者でも、五輪の1回は持っていかれる。それがフィギュアスケートだ。
だから「大崩れしない」は、才能である
この2つの例を踏まえて、もう一度坂本花織の戦績を見てほしい。
世界選手権4回優勝、五輪2大会連続メダル、全日本5連覇。さらに、坂本は2022年のオリンピック以降、主要な大会で大崩れせず、表彰台に上がり続けている。
上がることより、上がり続けることのほうが、はるかに難しい。これがこの競技の真実であり、坂本花織の最大の武器だ。
すごさ⑤自分が勝つだけじゃない——団体戦「銀」を支えた、もうひとつの強さ
ここまでは「一人で勝ち切る強さ」の話をしてきた。でも坂本花織を語るうえで、これを外すわけにはいかない。
2026年ミラノ・コルティナ五輪の団体戦。日本は銀メダルを獲得した。もちろん、これは7人全員の力で掴んだメダルだ。誰か一人の手柄ではない。それを大前提としたうえで——坂本がチームに何をもたらしたかは、記録しておきたい。
演技で流れをつくり、声で場をつくった
まず、自分の仕事はきっちりやる。開会式に先立って行われた団体戦の女子SP、坂本は最終滑走で登場し、ノーミスの演技で78.88点をマークして1位。演技構成点がすべて9点台に乗ったのは、あの場で坂本ただ一人だった。この10点で日本は米国と2点差の2位に浮上する。
そしてすごいのが、その本番の直前にやっていたことだ。
坂本は自分の演技を控えているにもかかわらず、アイスダンスのリズムダンスをチームシートから応援していた。吉田唄菜&森田真沙也組への声援で会場が沸き、本人は思わず涙をこぼす——そんな状態で、数時間後にノーミスを揃えてくる。
普通、逆である。自分の演技前は、耳を塞いででも集中したい場面だ。
「奇跡の銀」から「狙いにいく銀」へ
坂本は平昌、北京、ミラノと3大会の団体戦を経験している。彼女自身、平昌のときは「フリーまで皆で滑れるだけで凄い」という状態だったと振り返る。北京は予期せぬメダル。そこから、りくりゅう(三浦璃来&木原龍一組)や鍵山優真と「ミラノでは金を目指そう」と話し合ってレベルアップを重ねてきた。
ミラノの団体戦を終えて、坂本はこう語っている。北京は奇跡みたいな銀メダルだったが、今回は優勝を狙って臨んだ。全員がほぼ完璧な演技をした、と。
「たまたま獲れた銀」を、「狙って獲りにいく銀」に変える。その4年間の意識改革の中心に、坂本がいた。
リンク脇でずっと泣いていた人
団体戦が終わってからも、坂本は自分の個人戦までの9日間、ずっと日本チームの演技を応援し続けた。仲間の滑りに心を揺さぶられてリンク脇で涙を流し、演技を終えたチームメイトを抱きしめて迎え入れる。
本人は「みんなの努力が報われてほしい」「この目にみんなの演技を焼きつけるぞ」という気持ちで応援していたと語っている。
実は坂本は、以前から知る人ぞ知る”応援の人”でもある。2024年11月のNHK杯では、緊張で手が震えてアイライナーが引けないほどの状態だったのに、同門の壷井達也がSP3位に入ると涙を流して喜び、自分は首位発進。男子フリーをオンラインで見ながら「4回転を降りるたびに叫んでいた」といい、隣の部屋の青木祐奈に「すごい声が聞こえたよ」と言われたという逸話まで残っている。
そしてミラノの女子フリー。今度はチームが、坂本に声援を送る番だった。
あの銀メダルは7人全員のものだ。ただ、7人が7人とも力を出し切れる空気をつくった人が、あのチームには確かにいた。日本勢の”精神的支柱”と呼ばれた所以である。
結局、「ロシアがいたら」の答え合わせはできない
さて、冒頭の問いに戻りたい。
正直に書くと、この問いに答えは出ない。
ミラノ五輪には、ロシア選手権3連覇中のアデリア・ペトロシャンが「個人の中立選手(AIN)」として出場していた。4回転を複数種類跳ぶ18歳で、あの五輪で4回転に挑戦した唯一の女子選手である。結果は6位。坂本は銀メダルだった。
でも、それを「証明」として持ち出す気にはなれない。
彼女にとってあの五輪は、3年半ぶりに立った国際大会の、わずか2試合目だった。国旗も国歌もなく、同じ国の仲間も一人もいないリンク。グランプリシリーズも回れず、国内大会だけを滑ってきたうえでの本番である。あの条件を「対等な勝負」と呼ぶのは、彼女に対して失礼だと思う。
だから答え合わせは、永遠にできない。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。坂本花織は、与えられた条件の中で、毎回勝ってきた。 選手にできるのは結局それだけで、彼女はそれを5年間やり切った。
最後の1試合まで、坂本花織は勝ち続けた
物語には、まだ続きがある。
当初、坂本は五輪で引退するつもりだった。しかし「オリンピックでやりきれなかった」という心残りを晴らすため、現役最後の試合として2026年3月の世界選手権(チェコ・プラハ)への出場を決める。
そして——
SP首位発進。フリーは「愛の讃歌」でノーミス、自己ベストの158.97点。合計238.28点も自己ベストにして今季世界最高得点。2年ぶり4度目の世界選手権優勝。
この4度目の優勝は、浅田真央の3度を上回る日本勢単独最多。世界的に見ても、2003年までに5度優勝したミシェル・クワン以来の記録だ。
25歳の最終戦で、キャリアベストを更新して優勝する。
これ以上の幕引きが、あるだろうか。
まとめ:坂本花織は何がすごかったのか
- 「勝って当然」という最も苦しい状況で、実際に勝ち切ったメンタル(2022年モンペリエ)
- 56年ぶりとなる世界選手権3連覇
- 世界一層の厚い日本で守り抜いた全日本5連覇
- 五輪王者ですら翌月に崩れる競技で、大崩れせず表彰台に上がり続けた安定感
- 自分の演技で流れをつくり、声と涙でチームを支えた団体戦「銀」への貢献
- 条件を言い訳にせず、与えられた場所で毎回勝ち切ってきたこと
- 現役最終戦で自己ベストを更新して4度目の世界女王という、完璧な締めくくり
「ロシアがいないから勝てた」——その言葉には、確かに一理あったかもしれない。
でも坂本花織は、その言葉に反論する演説をしなかった。ただ黙って、勝ち続けた。置かれた場所で、最後の1試合まで勝ち続けた。
それが、筆者の思う坂本花織の”すごさ”である。

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